渋谷考

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深夜。作業が落ち着いたあたりで、よく渋谷の街をふらふらと徘徊する。

100年に1度とも言われる再開発がすすむ渋谷では、昼夜を問わずスクラップ・アンド・ビルドが繰り返されている。

駅まわりを見ると、銀座線がある部分を残して北側と南側にあった東横線の旧渋谷駅や東急百貨店東館がすでに解体され、新しいビルの基礎がつくられている。

 

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そこら中がこんな感じだ。さながらブレードランナーの乱立する廃墟。自己増殖する巨大なバイオロイドの体内を歩いているような気さえする。

ここから明治通りを少しだけ恵比寿のほうにいくと、また洪大な建造物があらわれる。

 

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こういった建築途中の建物からは廃墟のにおいがする。

「生まれつつある建物も、壊れゆく建物も、その瞬間を切りとればよく似ている。廃墟の持つダイナミズムはそれが原因かもしれない」

下北沢の古書店で読んだ安藤忠雄著の本に、そんなことが書いてあったのを思い出した。

なんというタイトルだったかな。

 

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ブレードランナーのようなSFに限らず、無意識に選別された(ほとんど電子的な)情報によって意識が形成され、その意識によって僕らは現実という形を認識する。

たとえば地震や台風のように、こちら側に直接影響を与える自然災害ですら、情報化されたデータをメディアを通じて受け取りようやく真に体感されるのが現実だ。

実在している、存在しているという実感を得るのはむずかしい。こと情報の氾濫する都市においては。

中島敦はこれを「存在の不確かさ」、坂口安吾は「石の思い」と書き残している。

「実存は本質に先立つ」とうたう実存主義が流行したのは第二次大戦後だし、こうした感覚は昔からあったようだ。

ただ、いくつもの戦争や恐慌のような、絶対的アクシデントによる世紀末感を背景としたそれよりも、現代におけるそれはもっと個々に迫る、より鋭利なもののように感じられる。

 

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日常の意味と脈絡から切断された物体が公然と剥きだしにさらされた渋谷の光景は、なんだか世界の素顔のように生き生きとしている。圧倒的な実在感、現実感がある。

無機的なものへの親しみ、おそれ、好奇心。いずれにせよ動的な生を感じさせてくれる。

 

 

 

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